1874 Osaka

1874 Osaka

始めに

「1874 Osaka」は、「1874 大阪」あるいは、「1874 大阪市営モンロー主義」もしくは、「1874 大阪市至上主義」とでも言ったところか。

大阪が名実ともに日本を引っ張っていた大正から昭和初期の偉大なる大大阪市時代。 これをテーマとした大阪市域をメインとした毒っ気満載の市政や国政の影響を楽しめる18XXがあったら面白くないか? なかったら作ってみようの精神で、ちょっと挑戦してみたいと思います。

まぁ、ここ近年、資料の充実は甚だしいですな。 私鉄史研究資料や日本図誌大系等の良書、鉄道関連本の今昔記事や廃線路記事、鉄道会社や電力会社の社史やサイト、Wikipedia、古地図公開サイト等、探せば色々出てきます。 これは、もはやゲームデザインのために資料が無いとは言えない状況になっていますね。 やるべきか、やらざるべきか、ときたならば、楽できて楽しそうな方を選ばせていただきます。 やるんでしょ?やるんですか?やるんですね?

毒の話

鉄道の世界は、とにかく毒だらけ。

私鉄買収の毒

国と私鉄の関係は、毒だらけです。 戦争に入ると軍隊の長期より輸送が必要になるため、国は法律つくり十数社の私鉄鉄道を強制買い取りします。 強制買い取りされる前の関西鉄道と官鉄との争いはとても壮絶だったと記録されています。

電気事業の毒

電気事業と、電気鉄道会社の関係は、切っても切りきれません。鉄道の沿線に電気事業やってた鉄道会社は、まさにウハウハでした。 大阪市は政治の力で、ごっそりと大阪電灯から、電気事業を横取りすると、その豊富な電力を市営交通に使用します。 そして、あの網の目のように張り巡らされた市電が誕生するのです。 電気最高の時代でした。 私鉄の電鉄会社も、電気事業で潤いました。阪神電気軌道(阪神)などは、収入の約半分が沿線への電気事業という時期もありました。 そんなウハウハな時代も、二次大戦が進むにつれて終わりを迎えます。 戦争末期、電力事業を国が一括して行う為、全ての電力事業を強制的に取り上げて新会社の株と交換してしまうのです。各事業所の思うような良い交換とはならなかったのは、歴史の示すとおりです。

人口増加による密集地が多発すると言うか全てが密集地の毒

さて、 ここ近年までの都市や町の発展は大変なもので、 大地を人で埋め尽くし、鉄道の路線開発をさらなる高み(高価)へと押し上げました。 高架か地下か、街中に新しい線路を引こうものなら、道路や川沿いに高架として、或いは地下ぐらいしか考えられません。 今では、大阪近辺は、たいていどこに行っても人だらけです。 もう、簡単には、新しい路線は作れないのです。

大阪市の中心部や尼崎や伊丹や堺のような町の一部のみが賑わっていた明治の末期 田畑の片隅に鉄道が敷かれ、都市間交通が発展し、沿線が開発されていく様子が、 地図を年代別に見ていくとよく解ります。 環状線の東側は、田畑ばかりでした。 尼崎城跡の南側に馬車鉄道の尼崎駅がありました。 新淀川が予定地となっていた地図など、当たり前ですがそこには官鉄しか走ってないのですが、初めて見たときは驚きでした。 この状況から、今の時代までつながっているのですから、感動以外にありません。


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